意味のない無料画像での装飾はいらない。広告で華やかさと情報発信を
最近のブログは、華やかな記事にするために無料の画像(フリーの写真素材)を入れることが当たり前になってきています。
確かに、文字ばかりでは読んでいて疲れてしまいますね。
また、適度な画像は、記事の内容を盛り上げる効果もあります。
旅行記に風景写真を添えれば、内容が深まります。
分解記事や組み立て記事には、写真は絶対欲しいところです。
でも、あまり意味のない写真や画像が使われていることって、多くないですか?
ハウツー記事に出てくる、頭を抱えた男性やアイディアをひらめいた女性の写真、本当にいりますか?
確かに画像(写真)をうまく使えば、アクセントになりますし、ブログ全体が華やかになります。
そういったセンスのいいブログや記事も、本当にたくさんあります。
しかし私は、意味のない無料画像を貼るくらいなら、適度に広告を配置します
最近、広告が嫌われています。
確かに過度の広告はジャマにもなりますし、気持ちのいいものではありません。
しかし私は、適度な広告は華やかでいい、と思っています。
特にブログの内容にマッチした広告は、常に記事に関連した、最新の情報発信になっています。
また、読み手側の過去の検索履歴に従って表示される広告は、ちょっとした備忘録にもなります。
最近私は新たに銀行口座を開こうと思い、いくつかの銀行や信用金庫を検索したのですが、そのうちのひとつの銀行の広告が、どこのサイトに立ち寄っても高い確率で表示されます。
そのたびに、「そうか、早く銀行を決めないと」と急かされたりしています。
そもそも現代社会のシステムは、広告がなくては成り立ちません
広告って、そんなに嫌われるべきものなのでしょうか。
資本主義社会では、常に新しい商品やサービスが生み出されます。
生み出された商品やサービスは、それを認知させ、販売につなげなければなりません。
その「認知」させる手段のひとつが、「広告」なのです。
この広告収入によって、いろいろなメディアやサービスが無料で提供され、私たちはその恩恵を受けています。
無料で動画を見たり、記事を読んだりできるのも、すべて広告のおかげです
私たちが無料で様々な情報を入手できたり、動画や民放テレビ放送を楽しめるのも、すべて広告のおかげです。
広告収入があるからこそ、無料で情報が公開されるのです。
この広告収入を少しでも増やしたいという想いから、各メディアは力を入れ、少しでも見てくれる方の利便性を高めようと努力をしています。
現代のビジネスモデルと広告は、お互いを切り離すことができないところまで来ています。
広告を嫌い「広告を排除する」という選択は、長い目で見ると「情報を無料で見たくない」と言っているのと同じことです。
テレビ放送を録画しコマーシャルを飛ばして見る行為などは、自分の首を絞めていることにもなります。
というか広告って、見ていて楽しくないですか?美しくないですか?
最近のコマーシャル(広告)は、美しく楽しいと感じています。
少しの例外もありますが、いい商品をみんなに知らしめるために、見てもらうために、一生懸命作られています。
- 街中で広告看板を見ていて、楽しくないですか?
- 続きが気になるテレビCM、ありませんか?
- 広告によって始めて知った商品やサービス、ないですか?
私には、たくさんあります。
このサイトにも、邪魔にならないように、「適度」ということに気を付けて、広告を配置しています。
以前は少々さびしかったこのサイト、すこしは華やかになったでしょうか、
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